31『時が赤を刻んで』 時を刻む音が大きく聞こえる。 それは命を刻む音。 夢が消えて行く音。 その音は焦燥感を煽り。 絶望の縁へと追い詰める。 時を刻む音が大きく聞こえる。 それが強くなればなるほど、祈る気持ちも強くなる。 この時ほど、時計が怖いと思うことはない。 ばしゅっ、と空気が勢いよく漏れるような音がして、次々と“英知の宝珠”に接続されていたコードが次々と外れて行く。そして、その名が示す通り魔導文明が生み出された知識の全てが詰まったその魔導器を固定していた柱が、ゆっくりと低い音をたてて上下に別れて行き、最終的に部屋の真ん中に取り残された台座の上に、“英知の宝珠”が安置される形となった。 「御協力、感謝する」と、ディオスカスはアルムスに勝ち誇った笑みを向け、つかつかと“宝珠”に歩み寄って行く。 そして、“英知の宝珠”の前に経つと、そっと自分の手をそれに這わせ、下部に手を差し入れると、ゆっくりと重みを確かめるように力を込めていく。やがて、あるところまで力を入れるとそれは、重々しく持ち上がった。 「ふむ、これが文明の重みというものか」 “宝珠”を片手で胸の高さまで持ち上げ、ディオスカスは満足げにそれを眺める。 「片手で持ち上げられるんだ、大した重みではないだろう」 そうアルムスが答えると、ディオスカスはいきなり声を挙げて笑った。 「窮地に立たされると人が変わるというが、それは本当らしい! あなたからそんな気の利いた冗談が飛び出るとは思わなかった」 「お気に召したようで何よりだ」 不機嫌そうな顔でアルムスが返すと、ディオスカスはまた笑い、手に持った“宝珠”を持参してきていた鞄の中に詰めて、傍にいる魔導士に持たせた。 「それでは次の目的地へと御同行願おう」 余裕があるのか、自分に背を向けて身を翻すディオスカスに、アルムスは尋ねた。 「貴様、研究所からどれだけのものを持って行くつもりだ?」 ディオスカスは、足を止めて振り返る。その顔は今までとは比べ物にならないくらい悦びに満ちたものだった。 「いただけるものは全て……と言いたいところだが、流石に持ちきれないので取りあえず三つ」 ピッ、とディオスカスは人差し指を立てた右手をあげる。 「一つが、今手に入れた“英知の宝珠”」 知識は、力だ。 魔導士として修行をすると、この言葉が酷く実践的であるどころか、この言葉が全てであるような実感を覚えることがある。 ウォンリルグへの亡命という話が、タチの悪い冗談でないとするのならば、そしてフォートアリントンからのウォンリルグが戦争を企てているという情報が間違いでなければ、三大国のうちエンペルリースとカンファータの知識の全てが詰まった“英知の宝珠”はウォンリルグにとって、非常に戦略的価値のある品物となる。なにしろ、それ一つで敵国の持ちうる魔導兵器などのデータが全て網羅できるのだから。 “孤高”を貫くウォンリルグでもそれを手みやげにわたせば、十分ディオスカス達を迎え入れる可能性が出て来る。 「二つめは、“滅びの魔力”」と、ディオスカスは挙げた右手に中指も追加して立てる。 これは純粋な力故だろう。扱いきれないという、致命的な欠陥を持つがそれでも人を惹き付けてやまない魅力的な量の魔力。 力も、やはり力。 「ダクレーを使って、もっと確実に奪うつもりだったが、御存じの通りの結果だ。おかげで計画が早まってしまい、こちらの件については全てが即時臨機対応で動かなければならなくなってしまった」などと、愚痴めいた事を語るディオスカスの口調はそれでも得意げだ。騙した狐が、罠に掛かった兔に己の知恵をひけらかすように。 やはりか、とアルムスは内心で思う。 ダクレーは元々ディオスカスから送り込まれる形で研究部にやってきた男だ。彼にディオスカスの息が掛かっていても可笑しくはない。彼が、自分に“滅びの魔力”のセーリアへの転用を提案したのだって、おそらくはディオスカスのいう“確実に奪う”策略の一端だったのだろう。 そんなダクレーの口車に動かされ、ミルドを初めとする方々へ、権力を行使してまで強引に計画を勧めていた事を振り返ると、アルムスは自分が非常に情けなくなる。彼は、自分の計画を動かしているつもりで、その実、ディオスカスの計画通りに動かされていただけだったのだ。 「そして三つ目が、今から我々が取りに行くもの……」 だが、そんなアルムスの自責の念も、ディオスカスが三本目の指を立てると同時にいった言葉に全て吹き飛ばされてしまう。 「それが……エンペルファータの“ラスファクト”《テンプファリオ》」 ***************************** 気が付くと、リクは流れが激しく、深い川の中で石にしがみついて耐えていた。それは奇妙な光景と言えるのかもしれない。周りは何も見えないような暗闇で、光源は一切見当たらないのに、自分と、その川だけはハッキリと見える。逆にいうとそれ以外は何も見えず、敢えていえば暗闇が在るだけだった。 しかし、彼は、この場所が人々に何と呼ばれているのかは知っていた。 「これが“死出の道”ってやつか……初めてみるなぁ」と、孤独感から出た彼の声は、いやに呑気な響きがする。 “死出の道”とは民間伝承に端を発する死後の世界に関する定説だ。“死出の道”は生の世界と死の世界の狭間に在るものであり、人は意識を失った状態で死の危険に曝されると、この場所に辿り着く。 道、という名前でも、大抵の場合は川らしい。瀕している危機の重さに比例して、生の世界から、死の世界に流れている川の深さ、流れの激しさが変わる。重ければ重いほど上流、つまり生の世界に戻るのが困難になるのだ。流されて、死の世界への境界線を超えた時、人は死ぬ。 彼がはっきりと憶えているのは、《アトラ》を召還するまでで、後の事は知らない。他に方法がなかったとはいえ、“魔導士殺し”と呼ばれる魔法毒《導きの戒め》に身体を冒された状態で召喚魔法なんて高度な魔法を唱えたのは己の事ながら無茶だった。 そこからも、何とか意識は保てていたらしく、カーエス達によって発見され、ジッタークが魔導医師として呼び出されて半ば博打のような治療法を提案し、自分がそれに同意するまでで、あとは意識が途絶えてしまっていた。 そして、先ほどまで完全に意識を失っている間、捕まることもなく、ただ流されていたような記憶がある。つまり、自分ではもがきようもないほど危険な状態だったらしいが、今は何とか掴まれるほどの危険度らしい。 ジッタークが、何らかの手段でリクの状態を比較的安定させたのだろう。しかしこの川の水量と流れの速さからすると、命の危険が去ったわけではない。取りあえず、苦しみがやわらげられただけというところだろう。 リクは後ろを振り向いて、川の下流を見つめた。 岩に捕まっている今は流されることはない。しかし水量は目に見えて増えて行っているし、無意識のまま掴んでかなりの時間が立つのか、腕に痺れを覚えはじめていた。しかも精神世界の一種に存在しているからといって、今現実世界で感じている苦しみが取り去られたわけではない。 普段心身健やかなリクは未だかつて経験したことのないような頭痛や、身体のだるさ、咳など彼が病気という言葉を聞いて連想できる、ありとあらゆる症状が彼を襲っていた。このままでは後幾らも持たないだろう。 初めて体験する死の危険に、身体を蝕む症状とは明らかに懸け離れたところで彼の身体に冷やりとした何かが走る。 「死んで、たまるか」 自分に言い聞かせるように、リクは声を絞り出す。 自分はまだ死ねない。叶えたいという夢がある。必ず叶えると誓った夢がある。その為だけに、彼はこの十年という歳月を生きてきたのだ。それなのにはるか長いこの道の第一歩すら、まだ踏み出せていない。せめて手を伸ばそうにもどの方向に伸ばしたものか分からない。そんな状態で死ぬのは絶対に嫌だった。 意識を失う直前、彼は確かに聞いた。カーエスも、ジェシカも、そしてコーダも彼が助かると信じてくれている。ジッタークは必ず助けると。 そして、彼は今も感じていた。右手の温もり。声が出せない少女は、代わりに自分の言いたいことを伝える術を沢山持っている。この温もりもそうだ。彼女はあらん限りにリクの生還を祈っている。 川の様子が急変し、リクは遂に捕まっていた岩を離してしまった。 流れていくリクは、上流の方を睨み、がむしゃらに上流に向かって泳ぎはじめる。しかし、川の激しい流れはその泳ぎを全く問題にせずリクを死の世界に続く下流へと運んで行く。 そんなことは分かっている。僅かどころか、ひょっとしたら全く無駄な行為なのかもしれない。それでも、彼は悲鳴を上げる自身の身体に鞭を打って泳いだ。 これは意思表示だ。 絶対に諦めない、絶対に生き残ってみせる。 これはリクからの、彼を死に運ぶ川への宣戦布告だった。 ***************************** 「なんとかギリギリで間に合うな」 守備よくジッターク指定の禁術を手に入れ、図書室の一角に戻ってきた時、ジェシカは懐中時計を確かめてそう漏らした。 状況の異変は、図書室を出た後からだ。図書室の入り口で出くわした魔導士らしき男が、彼等を見るなり指を差し、「いたぞ! カーエス=ルジュリスだ! 女魔導騎士の方もいる!」と、仲間らしきを呼び集めたのだ。 (ばかな、いくら何でも対応が早すぎる!)と、ジェシカは心中で叫んだ。 防衛用に配備されていた魔導兵器と戦闘を行ったりして、幾らかは派手な行動だったとは思うが、あんな人の滅多に来なさそうなところで起きたことなど、定期的な見回り以外に発見する手段はない。それにも関わらず、ほとんどタイムラグも無しに対応されている。 否、この魔導研究所の技術力ならば、常時“忘却の間”の様子をモニターなどで伺っていても可笑しくない。しかしそれでも、秘密の通路の入り口である図書室にピンポイントでやって来るのは明らかに不自然ではないだろうか。 このことを知っている人物はごく限られているはずなのに。 しかも、彼女らを発見し、集まってきた魔導士達は、用件を話すことはおろか、本人なのかを確かめようともせずに、即時に各々呪文を唱えはじめ、戦闘体勢に入っていた。 問答無用、そう彼等の態度は訴えていた。 そんな彼等を説得して通してもらうのは、無理だろう。 ジェシカは密かに舌打ちをすると、立ちはだかる魔導士に槍を向けて詠唱を始める。 「猛者たる条件は《強力》、魔力よ、理力の源となりて我を猛者と成せ!」 筋力を増強させる《強力》の幕が彼女の全身を包む。そして、さらに彼女は定石通りに《電光石火》を唱え、光のような速さを得る。 しかし槍は穂先を相手に向けるのではなく、自分に対し平行に構えたまま突撃をした。 そうすることで、集まって目の前に並んでいた数人の魔導士全てに槍が当たる。槍が当たった瞬間、ジェシカは《衝撃の増幅》という、その名の通り、その瞬間相手に与えた衝撃を二倍に増幅するという魔法を唱えた。 魔導士全てを一度に槍に掛け、分散した衝撃をそれで補うと、目の前に並んでいた魔導士達全てが吹き飛び、戦闘不能状態になる。複数の相手を一掃できることから、この技は“掃星突”と呼ばれている。 「カーエス、魔導研究所の魔導士団とやらは、随分好戦的なのだな? 犯罪者を逮捕するためとはいえ、有無をいわさずいきなり攻撃を仕掛けて来るとは!」 ただでさえ残っている時間が少ないというのに、邪魔された鬱憤からか、半ば怒鳴り付けるようにカーエスに言う。 「いや、違う。あれはおかしい。いつもの対応と全然違うで」 疑問に顔をしかめたカーエスは、走りながらジェシカに答えた。 そもそも、犯罪者を掴まえ、取り締まるのは魔導士団の仕事ではない。 先に述べた通り、魔導士団は研究所最大の武力ではあるが、そこに所属する大半の団員は専業ではなく、研究者などとの兼業だ。それ故に緊急事態が起きても、召集をかけてから出動するまでの時間が多く掛かってしまう。 そんな対応の遅い団体に警察組織としての仕事を任せるわけにも行かず、エンペルファータには正式な司法機関が設けられている。その機関にも戦闘要員として、研究所出の魔導士はいるが、それでもおかしい事がある。 それは、彼等が強力な魔導兵器を装備していたことだ。 「それは私も思った。だからさっさとケリをつけたんだ」と、カーエスの説明に、ジェシカも難しい顔をして頷く。 魔導士団にしろ、司法機関にしろ、魔導士は魔導を助ける程度の小さな魔導器を持つことくらいはあるが、彼等の持っていたそれは殺傷能力が大きく、戦争か賊の討伐くらいにしか使い道のない“魔導兵器”は開発されても研究所の保管庫に管理されているはずである。 魔導兵器関連の事情は、もともとカンファータの軍事団体である魔導騎士団に所属しているジェシカのほうが詳しいだろう。 「これは、ようない予感するで。問題はリクの事件だけやなさそうやな」 一端は目の前の敵を片付けられたジェシカ達だったが、今はそういうわけにも行かなかった。 「こっちだ! もっと応援を呼び寄せろ!」 「絶対に逃がすな!」 叫び声と共に、数人の魔導士が廊下を駆けつけて来る。倒しても、倒しても、湧いてでるように増えて行く魔導士達を睨み付け、ジェシカは狂ったように槍を振るい、前に立ちはだかる魔導士達を片付けて行く。 魔導士団は、数は多いがそのほとんどは中級、下級魔導士だ。上級は一握りしかいないので、多数を相手にしてもそうそう遅れをとることはない。 しかし、彼等の進行は遅々として進まない。 「“掃星突”っ!」 対集団戦闘に重宝する、槍を横に構え、そのまま突撃をする技を仕掛けるが、今度は数人の魔導士が防御用魔法を唱え、吹き飛ばされるのを防いだ。 それを見て、ジェシカはぎり、と奥歯を噛み締める。 禁術破りの現行犯のジェシカ達を捕らえにきた魔導士達にしては、彼等はあまり積極的に彼等を捕らえに来ない。それよりも防御魔法を中心に唱え、しつこいくらいに粘って来る。こちらが上級魔導士二人という情報を得て、持久戦に持ち込んだ可能性もあるが、どちらかというと、ただ彼等の行く手を邪魔しているようにしか見えない。 「何故だ。何故私達の邪魔をする……!?」 防御用魔法の効果が切れたところを見計らい、直接槍で“掃星突”で踏み止まった者達を蹴散らしながら、ジェシカはそう漏らした。その声は、悲痛にさえ聞こえる。 他の者に損をさせる行動をとっているわけではない。自分達は、ただ一人の青年を助けたいだけだ。大きな夢を持ち、それを本気で叶えようとしている青年を助けたいだけだ。 何故、そんな男が夢に破れる事も出来ず、このようなところで果てなければならない。 普段、あまり否定的なことを考えない性分のジェシカであるが、この焦りの募る状況でそのような考えを押え込める事は出来ない。 この戦闘に入ってから、どれだけ時間が経ったのか分からない。確認はしたかった。その余裕も無くはなかったが、今懐中時計を覗くのは怖かった。すでに手後れという時間になっているという場合が恐ろしかった。 「ジェシカ!」 夢中で槍を振るっている横からカーエスの声が聞こえた。彼は何度も叫んでいたらしく、やっと顔を向けると、苛立ったような口調でまくしたてる。 「ええか、ワケ分からんけど、見ての通りあいつらは防御に徹しとる。でも魔導研究所の魔導士は大抵魔法戦に長けとるけど、白兵戦はあんまり得意やない。そこを突いていくで。補助魔法は俺がかけるから、アンタはただひたすら槍を振り回すことだけ考えろや」 「……了解。補助呪文の方は任せる」 焦る気持ちで叫びたくなる気持ちを押さえてジェシカは、カーエスの提案に頷いた。 その後、カーエスの前に出た、ジェシカの背後から、早速補助魔法の詠唱が聞こえる。 「汝に与えるは、《豪なる力》! 傑となりし汝の前に抗うる力無し!」 《強力》と同じく、一定時間筋力を高めてくれる魔力の膜がジェシカの全身を包んだ。彼女はみなぎる力を存分に込め、手当りしだいに敵の魔導士達に槍を叩き付ける。 「ふ、防ぐな返せ……」 「我見たり、汝が《魔導の乱れ》!」 反射神経のいい魔導士が、《弾きの壁》を唱えようとしていたが、カーエスはそれを見逃さず、《魔導の乱れ》で、その魔導を妨害する。 おかげでほとんど防がれることもなく、ジェシカの槍は狙った相手を捕らえて行く。 「我に付き従いし《追い風》よ、駆けし者の背を押し、向かいし者を押し戻せ!」 続いて唱えられたカーエスの魔法によって、カーエス達の背後から強力な風が吹いた。呪文の通り、強力な風はカーエス達の背をようにふき、彼等の走る速度を高め、ついでに彼等の前に立ちふさがる魔導士達の体勢を崩す。 体勢を崩したところを、また次の魔法が襲った。 「燃え立ち上がれ、《火柱》」 魔導士達の足下に赤い円があちこち三ケ所ほど現れ、同時に激しい炎が上がる。狭い効果範囲の魔法だが、魔導士達は固まっているので、一つの円で数人の魔導士達が片付けられた。 続いて間髪入れずにジェシカの槍が陣形を崩した魔導士達を襲う。 カーエスの補助魔法は恐ろしいほどタイミングよく入って来る。欲しい時に欲しい力を与えてくれる。初めは、彼の補助呪文に合わせて槍を振るえばいいと思っていたジェシカだが、今は、ただ自分の勢いに任せて槍を振ればいいだけだった。 先ほどまであれほど手こずっていた魔導士達が、呆気無く片付けられて行く。 ようやく進みはじめた自分に、ジェシカは自分の内に渦巻いていた焦りが薄らいで行くのを感じた。 まるで鬼神のようにも思える二人の魔導士を前に、魔導士達は心に抱いた畏怖を隠せない様子だ。 この一隊に何かと指示を出していたリーダー格の男は青ざめた顔をしながら懐中時計で時間を確かめると、手を挙げて指示をする。 「……っ! て、撤退だ!」 その声を引き金として、半ば混乱した様子で引き上げて行く魔導士の一個隊を目にして、ジェシカは眉をしかめる。 そして、はっとした様子で懐中時計に目をやった。 その時計の文字盤は静かに赤の刻を告げていた。 |
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